上花輪神輿の全容

神輿製作者の佐藤里次則が上花輪神輿として作図した青写真用原図


 
以下に紹介する文章は鈴木里行氏(日本建築学会会員)の著書「野田に生きた立川流宮大工 佐藤庄助則久・里次則」(野田市欅のホール図書館蔵書)に書かれている文章から抜粋引用しています。
 引用掲載にあたっては著書である鈴木里行氏のご承諾を得ています。
 

上花輪神輿

製作年
    大正十四年
棟梁
     佐藤里次則
  (さとう さとじのりたけ)
神輿概要
   箱台三尺八寸 
      総欅白木仕立


上花輪神輿の特徴は
@胴廻り下部に擬宝珠高欄と木段橋を設け、従来の井垣と共にいわゆる二重高欄形とし、且つ二手腰組みである事。

A神輿構造で本柱(丸柱)の内側に力柱が初めから設けられたらしい事。
(先代佐藤庄助則久の神輿ではいずれも力柱の使用例はない)

B彫物絵様は本柱巻龍、小脇天狗、擬宝珠高欄食み龍、外多彩且つ精巧な彫で地紋だけでも本柱に毘沙門亀甲形、台輪は網代形、上下長押は花菱形、唐戸小間は菱形、箱台は沙綾形が刻まれている。

関連職人

宮大工
 佐藤里次則
木挽き 川鍋八五郎
彫物師 石川信光
師   青木太右衛門


神輿製作見積金額

合計 金三千三百四十円

《内訳》
木材   金五百円
大工手間 金壱千二百七十二円
彫物手間 金七百六十八円
錺金物   金八百円


神輿製作年経緯

大正十二年 8/19〜 
  上花輪神輿設計
大正十三年 7/30   
  神輿請負仮契約
大正十三年 9/15
  神輿請負本契約
大正十四年 3月  
  釿初(ちょうなはじめ)
大正十四年 4〜6月 
  神輿製作続く
大正十四年 7/15
  完成神輿を上花輪へ移す
大正十四年 7/20
  上棟式挙行(竣功)
大正十四年 7/21、22
  上花輪夏季祭礼

彫物師 石川信光

 上花輪神輿は旧神田錦町の彫物師石川信光により彫られた。石川信光は明治大正昭和初期の東京木彫師界に広くその名を知られた名匠であり、かの明治木彫師界の重鎮高村光雲(詩人で知られる高村光太郎の父)とも交流があった。信光の代表作としては、現国会議事堂参議院玉座鳳凰彫、柴又帝釈天本堂羽目彫等その外作品は関東一円に散在している。

白木仕立の意味するところ

 上花輪神輿が白木仕立であるのは何も漆塗代うんぬんと言う訳ではなく、棟梁佐藤里次自らの「漆塗りにしないでくれ、塗るならば五十年、百年後汚れて来てからにしてくれ」と言ったと言う。この言葉は木地そのものを生かそうとした事と共に、製作者の技を重んじた様を多分に感じさせる口伝であり、職人の誇りと言うべきものが感じられよう。それ程に上花輪神輿は、素材の良さと職人技の何たるものかを有りのまま見せてくれる江戸神輿中屈指の逸品である。


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